「こと葉」
こんばんは、今日も1日お疲れ様でした。
すっかり春の季節となりましたね。新社会人の方も、新しく入学したお子さん方、またそのご両親も新生活でヘトヘトの毎日ではないでしょうか。

色とりどりのチューリップに春を感じて癒され、気持ちも引き締まります。
先日、子供が学校の宿題で
「言葉」の「ば」はなぜ「葉」なのか?という疑問を持ち帰りました。
なんでだろう?と一緒に考えて、「葉っぱ」のように言葉はたくさんあるからかなぁ?とか、「確かになんで葉っぱの葉なんだろうねぇ」なんて会話をしました。
大人は楽を知っている生き物なので、ついついGoogle先生に尋ねてしまうのです。
『言葉 なぜ葉』ポチっと。便利な世の中が良くも悪くも。
すると、いろんな説がヒットするのですがそこに感慨深いなぁと思う内容がありました。
自然栽培米専門店:井田敦之さんが
葉っぱを言葉の比喩として使った有名なのが、平安時代の紀貫之が執筆したと言われる「古今和歌集仮名序」
原文の始まりがやまとうたは、”人の心を種として万の言の葉とぞなれりける”
現代語訳すると”和歌は、人の心を種として、葉っぱのように生い茂っている言の葉である”
また原文の序文には
「人は見たり聞いたりして思ったことを言葉として表現している。花の間で鳴いている鶯(うぐいす)や水に住んでいる蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、それぞれ歌を詠んでいる。力を入れずに天地を動かし、目に見えない死者の霊の心にも訴えかけ、男女の仲をなごませ、猛々しい武士の心も慰めるのは歌である。」とも書かれているそうです。
そこで、井田敦之さんはよく植物を人間に例えて考えることがあるそうで、その一つに一本の木を例えています。
根っこはその人の考え方や心で目に見えない部分、幹はその人の器、枝葉は外部への行動と交流だそうです。
自然界の「葉」の役割は、水分や気体の出し入れ、つまり外界と接触して交流している部分。人間で言うなら、人と接する際の行いや言葉ということになる。
植物が光合成で二酸化炭素を吸って酸素を世の中に供給しているように、私たち人間も言葉を通して目に見えない何かを供給している、言葉によって世界を創っている
このようなことを述べていらっしゃいました。
ふと目に止まった内容の記事ですが、何か深く、響く「言葉」
が並べられていました。
この内容を子供に伝えるのも難しく、いろいろ一緒に考えましたがいつか自分で気づいてくれればいいと答えは出せないままお互いの意見と考えだけで終わりました。
今日も、たくさんの患者様と言葉を通して繋がることができました。こんなにも誰かの人生に寄り添えるお仕事があるのかと思うとありがたい日々です。
もっともっと会話に花を咲かせたい気持ちが山々のなか、どうしても次の患者様がお待ちであると区切りも必要なのが心苦しいのですが、これからもたくさん素敵な言葉で繋がれたらいいなと感じる日でした。
老若男女、どんな方ともいろんな会話をさせていただきたいですし、言葉の引き出しはたくさんあった方がいい!だからこそ読書も欠かせないのです。
今日も素敵な言葉をくださった患者様に感謝の気持ちです。
それで結局答えはなんだったのか?と子供に聞いたところ、先生は『自分たちが思ったことが答えだよ』とのことでした。
それもまた素敵でなんて愛がこもっている回答なんだと心がホッコリしました。
素敵なポジティブな言葉でこの世の中が溢れますように。
今日も1日お疲れ様でした
2025.04.09